3代目「戸田橋」の親柱



現在の「戸田橋」は1978(昭和53)年に完成した4代目で長さ519m、幅21m。

4代目の完成を受けて解体された3代目の橋ではあったが、その顔となる「親柱」は2008年2月の今も現存。
埼玉県側は戸田市立親水公園、東京都側は板橋区の小豆沢公園内のグランドそばに保存されている。

3代目は大正12年の関東大震災後、東京の北の玄関口として架けられ昭和7年・1932年に完成、
長さ528.6m、幅11m。 当時の橋梁技術の粋を集めた近代的なトラス構造の鉄橋で、完成当時は
「日本一斬新で美しい橋」として話題になった。

三代目戸田橋 戸田市立郷土博物館 常設展示図録より
[トラス:直線的な材料を用い、三角形を基本単位とする構造の骨組み]


[戸田市立親水公園]
  

[小豆沢公園]
 

昭和26年からは橋のたもとで納涼花火大会が開催されるようになり、同36年の東京オリンピックでは
聖火ランナーがこの橋を渡るなど、板橋区や東京都、埼玉県の発展を見守り続けてきた3代目戸田橋・・・。



ちなみに江戸時代の中山道は荒川を渡し舟で渡っており、橋が架けられたのは明治8(1875)年で
長さ135m・幅4.2mの木製で当時は通行料を取る有料橋だったそうです。

初代戸田橋 戸田市立郷土博物館 常設展示図録より


そして、橋が架けられるまでは・・・

中山道戸田渡船場跡

戸田橋の埼玉側すぐの所にある、『中山道戸田橋渡船場跡』の碑の脇にある「戸田の渡し」の説明書きによると、
「かつて中山道は木曽街道・木曽路と呼ばれて山々の間を縫う街道として京と江戸を結んでおり、街道として整備
されたのは慶長7(1602)年。 宿駅は67、越える川は大小10以上を数え、荒川は江戸を出る所に位置し、
荒川には江戸防衛の意味から橋が架けられず、人々はここを越えるには舟による渡しに頼らざるを得なかった。
これが中山道「戸田の渡し」で、江戸日本橋を出て最初の宿駅である板橋宿と次の蕨宿の間にあって
交通の要衝でもあった。」と記されています。 また、渡船場は荒川を利用した舟運の拠点としての機能も有していて
戸田河岸場として安永元(1772)年には幕府公認の河岸ともなっていたようです。




2代目は路面を土で固めた木製土橋で大正元(1912)年の完成。

二代目戸田橋 戸田市立郷土博物館 常設展示図録より



普段日常的な景色として見ている四代目の戸田橋・・・
この場所にもやっぱり“歴史”があった。
身近な分だけその新発見が面白い。
姿を変えた“あの日の景色”が目に浮かんでくるようだ。

引用資料

戸田市教育委員会様     

   板橋区教育委員会様


(’08.2.5up)

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