隅田川 橋めぐりの旅


「荒川流域散策の旅」でその楽しさを知った、河川めぐりの旅・・・
その第二弾にあげた河川は、ここ「隅田川」。

そう、荒川の旅でみつけた水門を起点にはじまる川の流れ。そして、橋めぐりでも有名なんですよね。
特色あるその「橋」の姿と、テケテケの拠点・荒川分岐点までのその道のりをご紹介致しましょう。
「荒川散策」との意外な関わりも必見です。>^_^<



竹芝より隅田川の河口を臨む


今回の旅の主役は「橋」。 という事で、橋の集中する
河口からスタートして北上するルートを選択した。

この場所は、「ワーイワーイ」コーナーの納涼船ページに
あげた竹芝客船ターミナル。
隅田川の終点を意識してココへ来たのは初めてだけど、
隅田川のゴールテープ・勝鬨橋が見えています。
それにしても、月島付近の高層ビル群には改めて驚きます。

このあと浜離宮庭園に阻まれて直進ができないため、庭園を回りこんで庭園入口、
築地・中央市場を中継して最初の目的地「勝鬨(かちどき)橋」を目指します。




勝鬨橋(かちどきばし) S15
「橋めぐりの旅」最初の目的地・勝鬨橋。 
・・・とは言っても、川の流れでいえば最後のなんだけどね。(^。^))

ここも、先日のトリトンスクエアの御紹介の時にご案内しましたよね。 
ちょうどスペースもないので、そちらで再チェックして頂きましょう。
でも、チャンと帰ってきてよね。>^_^< 


佃大橋 (つくだおおはし) S39
佃のリバーシティ21を臨むワンショット。
「佃の佃煮」、「月島のもんじゃ」といった下町情緒を描いて
この場に立つと、キツネにつままれた気分に突き落とされます。

「思い込み」って恐ろしい・・・。(^_^;)

この橋の間近にある「聖路加ガーデン」の47階は
展望レストランにもなっていて、数々の「島」の位置関係が
つかめるかも知れません。


中央大橋(ちゅうおうおおはし) H5
平成五年に架設された、隅田川で一番新しい橋で、
地域のシンボルとして特長的な形状の作りになっています。

他サイトで見てみたら、夜のライトアップがとっても綺麗ですよ。(^。^)


永代橋(えいたいばし)T15
現在の佐賀町のあたりを、その昔「永代島」と呼ばれていたこと
からその名がついたと言われ、 元禄11年に架設されたこの橋は、
隅田川の中で最古の橋という事になる。 

当時は河口から一番目の橋・「帝都の門」としての大役を背負い、
男性的な力強さを表現する作りに設計されていたらしい・・・
(現在の橋は大正15年に架設されたものです)

水上バスが気持ち良さそうですね〜
今度は水上バスでも巡ってみようかな〜>^_^<


隅田川大橋(すみだがわおおはし)   S54
隅田川大橋っていう名前の割には普通過ぎる・・・

高速道路の為に出来た橋で、二層構造で上段が高速道路で
下段が一般道路。


清洲橋 (きよすばし) S3
この橋の結ぶ「清澄」と「日本橋中洲」の両地名から一字ずつ
取って名付けた名前となっており、震災復興事業の一環として、
近代的な作りを目指してドイツのライン川に掛かっていた
ケルン橋をモデルとして架橋しています。

「帝都の門」としての永代橋に次いで完成された清洲橋は、
それとは対照的な女性的な作りとされ、現在でも「貴婦人」と
呼ばれる隅田川一の名橋とされています。


新大橋 (しんおおはし) S52
元禄6(1693)年より架設され、関東大震災にも無傷で耐えた
先代の美橋が老朽化の為に架け替えられた橋で、
旧橋の一部は明治村に保存されているようです。 

当時、この上流の両国橋を大橋と呼んでおり、
その後の橋という事でこの名が付けられたとされています。


両国橋 (りょうごくばし) S7
本来の名はただの「大橋」であったが、武蔵と下総の二国を結ぶ
橋という事から「両国橋」と呼ばれており、新大橋の誕生なども
あったため正式にその名が付けられました。

明暦の大火で多数の犠牲者がでた為、防災上の必要性と
江戸市街の拡張を目的として万治2年に架けられたものの、
流失や消失で10数回架け替えられ、現在の橋は震災復興事業
として、昭和7年に架けられました。

両国にある回向院はこの明暦の大火の犠牲者を弔うために
建てられたものです。


そしてこの場所が神田川の河口、隅田川との合流地点にも
なっています。

河口近くの柳橋では、花街にちなんだ「かんざし」の
レリーフも飾られていましたよ。



総武線鉄橋  S8
だいぶ歩いてきたね〜 
今日はどこまでいけるかな・・・?


この橋の開通で、総武線(御茶ノ水−千葉間)が全通。

川底には総武線快速の両国トンネルが横断しています。


蔵前橋(くらまえばし) S2
江戸時代、川沿いに米蔵が並んでいた事から付けられた
地名が、橋の名前にもつけられたようですね。 

ちなみにココの対岸に国技館や江戸東京博物館があるんだけど、
そこの地名が「横綱」っていうんだって。知ってました?


厩橋 (うまやばし) S4
ちょっと難しい名前の橋だけど、皆さんは読めましたか? 

その昔、米蔵に併せて厩(うまや)が並んでおり、
対岸へ渡す為の手段として厩の渡しが存在していた事に
ちなんで名付けられたものとされています。 

明治7年に架橋されたものの、震災による落橋などにより
現在の橋は昭和4年に架けられたものになっています。


駒形橋 (こまがたばし) S2
都営地下鉄浅草線の浅草駅に程近いこの橋、
テケテケもここまで歩いてきたんだなぁと実感。
ビール会社のアレも見えてきた・・・

橋の西側にある駒形堂にちなんで名付けられた名で、
この橋の架橋までは「駒形の渡し」があったそうです。


吾妻橋 (あづまばし) S6
モンキーバナナじゃないケド、浅草と言えば「雷門」! そう来るのかな〜
もう一つの対抗格はコレじゃない・・・ 某ビール会社のオブジェ。 流れる雲のような霊魂のような、
そしてアレのような・・・ ウッ!書きたい!(^_^;)

コレって、「黄金の炎」のイメージなんだって! テケテケは、ついこないだまで、「ビールの泡」なんだって
強引に思い込んでたんだけど違ってた・・・ 結構有名な人の作品らしいけど。 
その隣の本社ビルが、ジョッキにビールを満たした姿をイメージしてるんだって。(^。^) 
おっと、橋の紹介をしてたのについつい・・・ だけど、ココはやっぱりコレでいいっしょ。


言問橋 (ことといばし) S3
関東大震災後の「帝都復興計画」のひとつとして昭和3年に完成。
「伊勢物語」の主人公、在原業平にちなんで名づけられた。

「名にしおはば、いざ言問わん都鳥 我が思ふひとはありやなしやと」
の歌からとったものといわれる。

同じ由来に墨田区の業平橋もあるようです。

墨田公園の東西を結ぶ橋として、景観に配慮して
薄い作りの構造になっています。


桜橋 (さくらばし) S60
上空からの写真ではないので分かりにくいかも知れませんが、
歩行者・自転車専用のX型の橋になっています。 

桜の時期には大勢の人たちでごった返すようです。 

オイラ達もX型の珍しさから、意味もなくこの橋の中央に
向かったのは言うまでもありません。


白鬚橋 (しらひげばし) S6
河口・勝鬨橋から続く、隅田川の「橋めぐり」としては
一応この橋がゴールになっています。

その名前は、近くの白鬚神社から由来しているらしく、
その西側に云われの碑が建っています。

ここに至るまでには、数々の「行き止まり」や多数の
「簡易ハウス」で一杯・・・。「ダンボールハウス」という表現には
当てはまらないほど良く出来ているので敢えて言葉を代えたけど、
その数には本当に圧倒されます。

お一人での散策にはそれなりの覚悟も必要かも。 (^_^;)


水神大橋 (すいじんおおはし)

隅田川河口からさかのぼって、一気にここまでやって来た・・・
目的の荒川との分岐点・岩淵水門まではあとどの位の距離だろうか?
すると、ふとあることに気が付いた。 そう、この場所は前回の「荒川流域散策」の時に中継点とした
「堀切」の地からスグそこなのである。 そして、隅田川は堀切の駅前で荒川と最接近するのである。 

テケテケも全然知らなかった・・・ ともあれ、このドラマティックな現実に感激しつつ、
今散策の中継点もココにする事にした。
さっそく、またもや堀切の駅を目指す事にする。
すると、隅田川と荒川を結ぶ水門を発見!

以前の散策の時にも、この水門には気が付いていたものの、
これがまさか隅田川との中継点だったとは・・・
別々の川の流れもココで再接近。

わかるかな〜 Aの写真の水門左側に荒川が流れてて、
Bの写真とつながる訳だけど、その流れ出た水はCの場所へ出て
合流する事になるんだね。 目からウロコが落ちました。(・_・)
テケテケ散策には意外な発見がたーくさん!!

←C




←A  B→

隅田川散策ではコチラから、→
この駅に到着・・・

この駅の隣がラーメン屋さん
って知ってましたか?
金八先生では映らないように
なってると思うけど・・・。
←荒川散策の時はコチラから
この駅に到着・・・

ひとまず、今日のところはコレで休憩。 また改めてココから出発するからね。(^o^)丿

     P.S.金八先生も折り返しになったけど、幸作君!頑張れよ〜!!)^o^(


 ここまでとこの先の位置関係を確認しよう

つづく      戸田橋へ