さよなら志村高校 ありがとう志村高校

平成19年3月3日、テケテケの母校がまた一つその役目を終えた・・・
中学校までの義務教育を終えて、紺色ブレザーと校章の配された赤色ネクタイ(当時)に身を包み、
自転車通学で約30分、待ち受ける急斜面・“源平坂”の洗礼を受けつつもチョッピリ大人になったような
嬉しさと緊張感を持って校門をくぐったあの日が懐かしい。

1年4組・・・クラス替えのない3年間だったから、2年4組、3年4組とその籍を置いた。
担任の先生は、当時まだ20代の新任先生だったと思われる若〜い先生。
年齢や風格で「いかにも」的に抱いていた『先生』のイメージとは違って、「お兄さん」のような感覚だった・・・
入学や卒業に際して撮った集合写真でも、生徒と紛れて分からなくなるほどに。



当時の先生の年齢を超えているであろう今、その当時を振り返ると、改めて時間の流れを感じるとともに
「大人」になりきれない自身の年齢に違和感をも感じてしまうが、テケテケにとってもここでの高校生活・
3年間は変化に満ちて楽しい時の連続だったように思う。

高校一年生の頃、「原則禁止」といわれる中で初めて就いたアルバイト、製本会社での日払いバイトだった・・・
友達数人で一緒に行った日もあったっけ、ベルトコンベアを相手に9時〜5時を過ごして5・6000円の給料を
もらっていた。 以降、単発だった日払いを脱して新聞配達やら郵便配達、そして子供の頃からあこがれていた
東京ドームでの売り子さんなどのバイトにいそしみながらの学生生活だった。 アルバイト日記へ

志村高校、「志村」最後の日となるこの日、テケテケたちのたまり場だった懐かしき風景にも会ってきた。
鉄道最寄り駅から15分以上を要し、決して便利が良いとは言えない我らが母校。
そのせいもあってか大方の生徒は自転車通学・・・ テケテケたちも最寄り駅とされる西台や蓮根駅周辺ではなく
志村三丁目駅周辺が“縄張り”だった。 駅横すぐの『トロン』という名のゲームセンター、テトリスが爆発的な
人気を博していたあの頃、まさにその場所こそがテケテケたちの拠点だった。
今の明るくにぎやかな「ゲーセン」ではなく、暗くてダーティイメージいっぱいのあの頃に。memory of young boyへ


・・・それでも近所のちっちゃな公園でゴムボールで野球する、おちゃめな高校生だった。(*^_^*)

いまだ健在のバッティングセンター

当時は「トロン」だったけど、「ニュートン」となったゲーセン

志村三丁目駅から

N君が住んでた団地
ゲームセンターの名前が変わり、駐車場だった場所に建物が建ってチョッピリ印象は違ったが、
テケテケの求めた当時の面影はほぼそのまま残っていた・・・
とても15年近くの年月が流れたとは思えない。いや「思いたくない」自分と挌闘する。

そしていよいよ、志村との別れの対面だ・・・
久しぶりに見上げる源平坂・・・

あれだけキツく感じた坂、あれだけダルく感じた坂なのに、この日の急斜面はなぜかいとおしい。
この坂の頂上にある校門へとテケテケの歩を引き寄せる。
(この日は自転車を押していなかったけど、自転車を押して雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も
雪つもる日でさえも上がらねばならないこの坂は本当にキツかったな〜(^_^;))

そしてたどり着いた先には、あの日テケテケたちを迎え入れ、そして送り出した門が横たわる・・・
国旗と看板とテントが無ければ本当にあの日のままだ。

その看板には「平成18年度卒業証書授与式」と並んで「閉校式」とある。
我が母校の閉校が今、目の前で現実の事となる

卒業の日以来久々にその門をくぐり、受付へ卒業生であることを申し出るも、その参加へは招待状が必要という。
校舎内には入れずとも、せめて外観の写真撮影だけでもとテケテケも食い下がる。
受付の方の発した条件・「この辺で」を最大限に解釈して撮影開始。
シャッターをきりながら“自然と”少しずつ移動して、校庭風景にも接してきた。
学食ウラのあの場所も。焼肉丼や当時流行ってた「チーズ蒸しパン」、よくここで食べたっけ。
校舎内には入れずとも15年ぶりの光景を目に焼き付けた。
この先の自分がたどる道に「楽しみ」だけを抱いていたあの頃と何ひとつ変わらない・・・
あまりに変わらない光景に、変わっていく自分自身が照れくさくチョッと寂しい。
あの時テケテケは確かにこの学校の門をくぐり、この学校の門を後にしたのだ。
「あの日」にはもう戻れない。



こうしてテケテケは15年ほどの時を越えて、我が母校に2度目の別れを告げた。
いつの日か懐かしの思いに駆られて再度この地を訪れ、この坂を見上げるとき、我が母校は
どんな使命を受けどんな姿になっている事だろう・・・
そしてまた、その時のテケテケは・・・

ありがとう志村高校、さようなら志村高校・・・


こうしてテケテケサイトに我が母校の在りし日を刻み、そこから巣立った卒業生の一人として
閉校となるこの日に立ち会う事が出来た事を嬉しく思うと同時に、その思い出の日を大切にして
まだまだ走り続けたい。 怖いもの知らずに走り抜けたあの頃のように。



P.S.志村の閉校に際してのネットサーフィンでお知り合い頂けた「都立志村高校同窓生のページ」様のあおさん、
またそちらを通じて相互リンクのお付き合いを頂いております「都立志村高等学校’86年卒3年4組の部屋」様の
管理人さんと知り合うことが出来た事で、この日を悲しみの日としてだけではなく当時を思い起こし、その日を
迎えるまでのカウントダウンを意義深く感じることができました。 あおさん、管理人さん本当にありがとうございました。
また、今後ともよろしくお願い致します。(^o^)/

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(’07.3.10up)

あの日あの時