決戦の日   −’04.8.21−


羽田空港にもたくさんの剛ファンが・・・
2004年8月21日・・・ 

いよいよ決戦の日がやってきた…
いざゆかん!
鹿児島・桜島、決戦の地へ向かって。

この日の「決戦」は2002年9月7日に決まっていた。
同日の横浜スタジアム・長渕剛野外ライブで発せられた
桜島オールナイトライブ敢行の約束の瞬間から。

その日から決戦のこの日への参戦を心に決め、流れ行く一日一日を
受け止めながらのカウントダウン。無事に約束のこの日を迎えられた事が
嬉しくてならない。



決戦のその日が近づくにつれ、テケテケの準備にも熱がこもる。

週間天気のチェックから航空券・乗車券の手配、周遊観光地の下調べ、
新規デジカメの購入に至るまで・・・
この時点での週間予報はバッチリ良好。
その日の来るのを心待ちに、指折り数えて待っていた。

しかし決戦まで3日と迫った頃、はるか日本の南海上に台風16・17号が発生したことを知らせていた・・・ 昨年の横浜赤レンガ倉庫での野外ライブが台風によって順延になった事が頭をよぎる。

しかも関東から鹿児島への参戦となる今回は、前回のその時以上に影響が大きい。 航空機の欠航、コンサートの順延・中止、旅行日程の変更・中止、航空券・乗車券の変更・・・ 多少の風雨をもステージの演出として楽しむ覚悟を決めてはいたが、コンサートの開催のために台風の直撃だけは勘弁をと神にも祈る心境だった。

開催当日の予報は「曇のち雨」。しかしこの日の台風直撃は免れた。
剛さんにとっても、オイラ達にとっても大きな大きな意味を持つこの日、
多少の雨に悲観しても仕方がない。 
そう割り切って決戦の地への一歩を踏み出した。

羽田空港14時20分発のスカイマークBC305便・鹿児島行き。
機材繰りの関係で多少の遅れはあったようだが、16時30分には
同行者との合流も叶い、鹿児島市内行き臨時バスにより空港を後にした。

臨時バスにより約一時間、鹿児島一の繁華街・天文館(てんもんかん)へ到着。 そこから路面電車を利用して「水族館口」よりフェリー乗り場を目指す。

この時18時前、多少の混雑はあるにせよ19時からの郷土芸能開演には間に合わせたいなどと、結果からすると無茶苦茶な希望を抱いていた。
フェリー乗り場周辺に到着。 腹ごなしにコンビニへ・・・
しかし、コンビニの食糧は完売状態。 気がつけば店内もこの街も剛ファンで溢れ、街ごと占拠したかのような雰囲気に包まれている。
都心部での5万・6万とは異なり、人口密度の低い地域での7万人はいやおうなくその地に影響を与える。 言われている経済効果50億もウソではないだろう。

このまま桜島へ渡り食糧を得ることが出来ないとなると、とてもオールナイトを乗り切る事は出来ない、ホントに倒れちゃうかも。 そんな不安にかられて19時からの郷土芸能を最初から見る事は出来ないと思いながら、タクシーで剛ファンの流れから離れた天文館へ戻り、鹿児島ラーメンで腹ごなしをすることにした。



腹ごなしを済ませて再びフェリー乗り場へ到着。
18時48分、いざフェリー乗り場への長蛇の列に組み込まれた・・・
この時すでに前座の「郷土芸能」はあきらめた。




決戦の地・桜島が見えている。 待ってろよ桜島!

この列の先には入場門はない。 フェリー乗り場、そして乗船・下船後も会場まで2.5キロを歩く。
果たして何時に会場入りできるのだろう・・・ そんな不安感があせりを生み、いつしか疲労に変わる。

19時45分頃だろうか・・・
ようやくフェリーに乗船。

15分ほどの乗船時間が一時の休憩時間となる。
おもい思いに腰を下ろし、乾杯の掛け声すらも聞こえてくる。

いざ桜島に着岸。 会場への到着に思いを馳せ、知らず知らずのうちにも早足になる。

Kブロック、Jブロック、Iブロック・・・ リストバンド引換所をやり過ごし、
テケテケの持つチケット・Cブロックへの到着を待つ。 
そしてここでまたも列を作るとは・・・

開演予定時刻の21時が迫る。
そして1分、2分と経過する。

会場を目前にしての入場規制・・・ 殺気立つ周囲。
警察官の制止もぎりぎりだ・・・

ドーン!! 夜空に花火が上がる。
花火の美しさに感嘆の声を上げながらも、花火終了後の開演が近づいている事をみんなが知っている。

一瞬の静寂の後に照明が落ち、「♪勇気の花」が流れる。
「アッ〜 始まっちゃったーー!!」

目前にして足止めを食らっていた群集のやりきれない思いが爆発!
「俺たちまだ入ってないよ〜」 そう言いながら群集の列が動き出す。

これ以上の制止は不可能だ・・・
「けが人が出るぞ」「子供もいるんだ」様々な怒号に溢れ、ようやく入場の門をくぐる。




 つづく