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我が懐かしの後楽園球場・・・ |
| 〜5万人の大歓声に震える少年がそこにいた〜 |
とある公立の小学校に通い、自身の住む町からなる
「学区域」を出る事すらもいけない事とされていた
小学校4年の少年は、その頃から電車やバスに乗っ
て見知らぬ場所へ出かけていく事が好きだった。
−今にして思えば、この頃からテケテケサイトの誕生
は決まっていたのかも知れない。
幸いにも「遠出」という校則破りを共にしてくれる親友
がいて、ビー球・メンコ・ヨーヨー・ガン消し・ガンプラ
集め・子供心に革命を起こしたファミコンに至るまで
、いつもその友人が一緒だったような気がする。
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全く興味のなかった「プロ野球」に、接する機会をもたらせてくれたのもその友人だった・・・
少年らが5年生となったある日、いつものように見知らぬ光景を求めて大手町の博物館を見学した帰り、
そこから地下鉄で2つ目の駅にある、「後楽園球場」に行こうと言い出したのである。
野球に関心のなかったテケテケは、名所の一つとして「お付き合い」をしたつもりであった。
しかし、結果的にはこの日が大きな意味を持つ一日となった。
その日、後楽園球場では’84年度のオールスター戦が行われていたのだが、その詳細は全く覚えていない。
だけれども、その日の感動は今でも忘れられない思い出になっている。
5万人の観衆の大歓声、ジャンボスタンドからの鮮やかな眺め、日の傾きとともに変化する天然の照明、
心地よく吹き付ける風、どこからともなくやって来るカップ麺の香り。
そして、オーロラビジョンに映し出される様々な画面、ボールの形をした愛嬌のあるリリーフカーなど、
とても言葉には語りきれない感動があった。
その日以来、少年はプロ野球に興味を抱き、自宅から程近い後楽園球場をホームグランドにする
読売ジャイアンツを応援するようになっていた。
当時の子供自由席券は200円。 自宅からの電車賃200円と併せて400円。
子供の財布には決して安いとも言えなかったハズだが、そこは子供のたくましさ、30分以上おもかけて
自転車で観戦に行ったりもした。 初めての巨人戦は、球団創立50周年の ’84(昭和59)年9月22日、
西本−定岡−角とつないだものの3−5で負けてしまった阪神戦だった。
ハマリにハマったテケテケはその翌日にも観戦に行き、江川−角の継投で6−4の勝ゲームに立ち会うことができた。
この年のジャイアンツは、王監督のもと3位に終わったが、以降現在に至るまでジャイアンツの応援を続けている。
そして’88年には東京ドームが完成、我が思い出の後楽園球場は姿を消した。
その後高校生となった「いつかの少年」は、少年時代にあこがれていた球場での売り子として東京ドームの
整然とした狭き通路を売り歩いていた。
「ジュース・コーヒー・ウーロン茶いかがですか〜」
「近代化」という言葉の向こうに何かを失っていく寂しさを実感しながら、今日のドームを見つめている。
さよなら後楽園球場・・・
さようなら少年の日の思い出・・・
写真借用 TOKYO
DOME INFORMATION|東京ドーム情報
おまけ
後楽園球場(当時) 両翼・91.44m、中堅・118.9m
東京ドームに代を譲った1987年まで主に巨人と日本ハムの本拠地球場として使われたテケテケの思い出の球場。
今日この日に至るまでのテケテケの生活に潤いを与えてくれている元気の元の一つで、
この球場を思うときテケテケの幼少期がよみがえる。 [1987年11月解体]
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王選手の756号HRの落下地点に設置されていた碑 |

選手通路を通るクロマティ選手 |
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