役割を変えた我が小学校


平成14年4月、我が思い出の小学校がその役目を終えた・・・
テケテケたち在校中のその頃から噂されていた悲しみの日がついにやって来たのだ。

少子化・・・ 言葉には聞きつも、ベビーブーム世代のテケテケたちにはピンとこなかった。
もともとが小さな町の小さな学校、それがさらに小さくなっていく姿など想像だにしなかった・・・
当時300人ほどの児童数はあったこの学校も平成12年には119人にまでなっていた。


旧稲荷台小学校が「加賀小」に
かくして、我が母校「板橋第三小学校」は「稲荷台小学校」とともに「加賀小学校」として新たな船出を飾った。

加賀小学校の校舎は旧稲荷台小学校を使う事になり、板橋第三小学校の卒業生としては帰るべき故郷を失ったような淋しさは拭えない・・・

テケテケたちを送り出した大きな船は今どうしているんだろう。 そんな思いにかられて再びこの地を訪れた。


我が母校「板橋第三小学校」

久しぶりに訪れた彼は「板橋区公文書館」「ボランティアセンター」としての新たな使命を受けていた。
そしてその一角に「板橋第三小学校・稲荷台小学校記念室」なるものが併設されているようだ。

さっそくその門をくぐってみよう!

かつての子供のはしゃぐ賑わいはなく、ひっそりとした廊下を進むと2階の突き当たりにその部屋はあった。
1階の事務室へ申告するとその扉を開けてくれる。



そこには両小学校の懐かしの品々や卒業アルバムなどが展示されている。
テケテケもしばしの間懐かしのアルバムに見入っていた・・・

そこには確かにテケテケの姿があった・・・

何ともいえぬ安心感に包まれ、かつてのみんなのはしゃぎ声が聞こえてきた。(#^.^#)

あれからもうすぐ20年・・・
「あの日あの時」が遠くに揺れている。



「思い出の小学校・ありがとう我が故郷」

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あの日あの時