皇居周辺散策

ある日ふと思い立ち、皇居周辺の旅に出てみる事にした。 
この旅のスタートはここ、東京駅。

1914(大正3)年12月に開業したこの駅は、一日の乗車人員が40万人を
超え、首都圏でも五本の指に数えることの出来る、名実ともに東京を代表
する駅の一つであり、その様式もオランダのアムステルダム中央駅を
モデルにした赤レンガ作りで、東京に明治文化の香りを残す数少ない建物に
なっており、大正10年の原首相、昭和 5年の浜口首相の遭難現場としても
知られ、今もその現場にプレートが残されています。


皇居景観


坂下門  現在、宮内庁の通用門

二重橋 皇居正面にかかる。別名「石橋」

桜田門 第一の門 

 東京駅丸の内口を出てまっすぐ先を見渡すと、すでにそこに広大な皇居の姿が見えている。 
当然のことながら、厳重な警備がなされていて、物々しい雰囲気に圧倒される面もあるけれど、
この雰囲気に臆する事なく進むとしよう。

先ず最初に足を踏み入れることになるのは、皇居外苑・皇居前広場である。
かつての西の丸下で、江戸時代には幕府の重臣の屋敷が集まっていたとされているが、
今は手入れをされた芝生と松が続いている。

その突き当たりにあるのが「坂下門」。
現在では宮内庁の通用門として用いられ、この門内に宮内庁が位置するらしい…

当然、その中が気になるところだけど、それは叶わぬ願い、
時々車が出入りするその瞬間を、警察官ににらまれながらチラチラやって我慢しよう。

皇居正門の「二重橋」の奥手には警察の制服とは異なる皇宮警察の姿が見え、とっても興味を引かれるが、
ここもこれ以上は進めない。正月参賀のときなら行けるらしいが…。

「日本」の中の「東京」に住み、今さらながらに実感する「非日常」の世界。 
ふと気がつくと、現実との垣根を見失いそうだ…  



       憲政記念館    もっと憲政記念館
開館時間 9:30〜17:00入館16:30    休館 毎月末日、12月28日〜1月4日    入館無料

ぽんすけさんの御紹介にもあった「憲政記念館」… オイラはこの日の出発が遅かったせいもあって、
今日のテーマ「皇居一周」と日没時間を計算したら、とても内容充実のこの記念館に入館する時間が取れずに、
この日の入館を断念。 庭園を散策するに留めた。
 
右の時計塔は憲政記念館(当時・尾崎記念館)建設当時に施設の一環として建設されたもので、
三面塔型は「立法」「行政」「司法」の三権分立を象徴したもので、塔の高さは「百尺竿頭(かんとう)一歩を進む」という
ことわざの、努力の上に努力を重ねるという意味を込めて百尺・30.3mより高くした31.5mに設定したらしい。


日本水準原点標庫  (東京都指定有形文化財)

日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治24(1891)年5月に建設。
その原点標を保護するために建築された建物で、日本水準原点は東京都千代田区永田町1−1・
憲政記念館庭園内にあり、現在のその標高は24.4140mです。

国会議事堂


行政のメッカ霞ヶ関の頂点を極める、ココ国会議事堂。
国会議事堂は大正9年に着工され、17年・総工事費2900万円をかけて昭和11年に完成した。  65.5mの中央の塔に向かって右側が参議院、左側が衆議院。

中央玄関間には伊藤博文、大隈重信、板垣退助といった憲政に尽くした人々の像が立ち並び、昭和十一年十二月召集の第70回議会から使用されて今日に至る。

←なんとなくカッコいい…
国会議員を目指してみたくなる気持ちも分かる気が…。

国立国会図書館

わが国における唯一の国立図書館で、国内で発行されるいかなる書物も収蔵している。

国会法130条「議員の調査研究に資するため別に定める法律により国会に国会図書館を置く」の規定によって、昭和23年に設立された。ちなみに、私達も入館できますよ(^o^)丿

最高裁判所  最高裁判所事務総局広報課(03-3264-8111内線3156)

 昭和46年に着工し、総工費126億円をかけて敷地面積47000uの
最高裁判所が完成。 旧庁舎から作業員のべ5300人、20日間の日数を
要して引越し作業を終えた。

国立劇場

 我が国初の国立劇場として昭和41年に開場。
外観は奈良・正倉院の校倉造りを模した日本的なデザインとされ、
歌舞伎、邦楽、文学などの伝統芸能の保存・振興を目的としている。

 隣接する国立劇場演舞場では大衆芸能の保存・振興を目的に、
数少ない落語を聞ける場所として人気がある。

半蔵門

伊賀忍者・服部半蔵の紺屋敷があったことからこの名が付いたといわれる。
また、将軍が江戸城を脱出しなければならない急な事態が発生した場合,
甲州街道から甲府へと脱出する緊急事態用の門であったという。

よってかつての甲州街道の起点は日本橋ではなく,この半蔵門であった。

英国大使館

駐日英国大使館は1872年以来ずっと現在の場所に位置し、
大使館前は桜並木でも有名。

オイラもこの辺り(半蔵濠沿いの小公園)で、チョイと休憩。 
見ると皇居外周に咲く花をスケッチする人の姿も… >^_^<

靖国神社
            靖国神社遊就館(宝物遺品館)
            東京都千代田区九段北3−1−1  電話03−3261−8326   http://www.yasukuni.or.jp/

明治2年、維新に倒れた官軍の霊を慰めるために建てた招魂社がこの神社の始まり。
明治12年に靖国神社として改称し、以来日清・日露戦争から第二次大戦までの戦没軍人をまつっている。
 
つい先日、小泉首相の公式参拝問題で注目を浴びた場所であり、今回に限らず常日頃 から
      
      「政教分離」を           vs      宗教的儀式ではない
      「戦事崇拝」だ           vs      「戦争への警鐘」だ
      「A級戦犯を合祀している」    vs      戦犯もまた、罰を受けた犠牲者だ
 
 等といった様々な思惑の狭間に立たされる、複雑な思いの入り乱れる地となっている。

本殿裏手の宝物遺品館には、古武具や戦没者の遺品、大砲、戦車、銃刀なども展示されており、一番右の写真は何だか分かる?
…「回天」って名付けられた人間魚雷だって…(T_T)
「特攻」っていうと空中戦のイメージが強いけど、海中戦にもあったんだね…
宇宙服みたいなものを着て、竹やりの先に爆弾をつけて海底から船底を襲う−なんて構想もあったくらい、
ホントに「捨て身」の攻撃を余儀なくされたんだね…。




回天の搭乗者は17歳から28歳・・・
大多数は20歳前後の若者であった。
年齢も性別もなく戦火にかりだされた戦争。

こんな悲劇は繰り返しちゃいけない。
          ハズなのに… (+_+)
靖国神社の社務所に掲示されていた、
  海軍三等飛行兵曹 22歳 曽根茂登夫 氏の遺書

拝啓 長らく御無沙汰致しました。 父上始め皆様益々御健勝にてお暮らしの
ことと存じます。降って小生ことは何時も元気一杯に軍務に精励して居ますから
ご安心下さい。軍刀は武士の魂で一週に一度は必ず手入れしてゐる。
戦地勤務には是非攻撃に持って行く所存です。
今は○○基地に帰っているが新作戦を眼前に毎日訓練に精出して居る。
十二月八日初陣以来第一線を承って約四ヶ月活躍してきたが未だ幸いにも
かすり傷一ツなく御奉公が出来た。 併し今度の作戦行にはもう生きて内地の
姿は見ないつもりだ 同期生も次々と靖国の神となって行く今迄よくこそ
生き長らへたとつくづく感じている。
もう幾日もなく三度の出征だ どこへ行くかは解らないがとにかく征った先で
軍人として恥ずかしからぬ働きはするつもりですから御安心下さい。
今度出撃してたとえ死するとも本望、何も言い遺すこともない。靖国でまた会う。
では左様奈良(さようなら)。 御父上様 母上様

日本武道館

法隆寺の夢殿を模した正八角形の屋根。
ここが皆さんもご存知の日本武道館。

昭和39年開催の東京オリンピックの柔道会場として建てられけど、
今ではコンサート会場としての方が有名かな…
オイラの大好きな長渕剛さんも、よくココを会場にしています。

ちなみにココをコンサート会場として最初に使用したのは昭和41年に来日した
ビートルズで、その時は「武道館」を「コンサート」に使うことの是非をめぐって、
相当もめたらしいんだけどね…  (ジョン・レノンミュージアムでお勉強しました。)

そしてそれ以来、大物外国人アーティストの来日っていうと武道館が利用されて
いましたっけ。 今じゃあちらコチラにドーム球場が出来ちゃったから、
だいぶシフトしちゃったかな〜(^。^) 

将門の首塚
天慶の乱(940年)で平貞盛、藤原秀郷らに討たれた平将門の首を埋めた首塚。
将門は時の朝廷に反抗し、武士や農民の支持を受け、一時は8ヶ国を支配する勢いを持っていました。

天皇御成婚記念噴水塔  
             (和田倉噴水公園)
天皇・皇后両陛下の御成婚を記念して昭和36年に完成した、この公園を
皇太子殿下のご結婚に際して再整備されました。
噴水パターンは時間によって様々楽しむ事が出来、
夜にはライトアップもされてデートコースにもgood! 東京駅からもすぐそば。>^_^<

皇居一周の旅もここで完結。

最後に行った楠正成(くすのきまさしげ)の像は暗さのあまりデジカメ撮影できずご紹介できないけど、
その代わりに東京駅のライトアップで締めるとしよう…(^o^)丿 お付き合いありがとね!!


     
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